製造業デジタルツイン開発を推進するチームに求められるスキルセット
はじめに
製造業においてデジタルツインの導入が進むにつれて、それを実際に開発し、運用していくための人材の確保と育成が喫緊の課題となっています。デジタルツインは単一の技術で完結するものではなく、多岐にわたる専門知識とスキルを組み合わせることで実現されます。特に、デジタルツイン導入の意思決定や推進を担う立場からは、どのようなスキルを持つ人材が開発チームに必要であり、それぞれのスキルがデジタルツインのどのような機能やビジネス価値に繋がるのかを理解しておくことが重要になります。
本記事では、製造業におけるデジタルツイン開発チームに求められる主要なスキルセットを体系的に整理し、それぞれのスキルがデジタルツインの実現とビジネス価値創出にどのように貢献するのかを解説します。技術的な詳細に深く立ち入るのではなく、それぞれのスキルの役割と重要性に焦点を当ててご説明いたします。
デジタルツイン開発を支える主要なスキルセット
デジタルツインは、現実世界の物理的なモノやプロセスからデータを収集し、サイバー空間上に再現し、分析やシミュレーションを通じて洞察を得て、現実世界にフィードバックするという一連の流れを実現します。このプロセスを実現するためには、以下のような多岐にわたるスキルが必要です。
1. 製造業ドメイン知識
デジタルツインを製造業で活用する上で、最も基礎的かつ重要なスキルです。対象となる工場、設備、生産プロセス、サプライチェーン、製品に関する深い知識が不可欠です。
- 役割と重要性: どのようなデータを収集すべきか、物理的な現象やプロセスの因果関係はどうなっているか、現場のボトルネックは何か、どのような課題を解決したいのかなど、デジタルツインの目的や要件を定義する上で核となります。技術者はこのドメイン知識を持つ専門家と密接に連携する必要があります。PM層にとっては、自社のドメイン知識を持つ人材が開発チームに参画することの重要性を理解することが求められます。
- ビジネス価値への貢献: 現場の現実に基づいた正確なモデルを構築し、実効性の高い分析や改善策を導き出すために不可欠です。
2. データエンジニアリング
デジタルツインの基盤はデータです。様々なソースからデータを収集し、統合、加工、管理するためのスキルが必要です。
- 役割と重要性: 生産設備からのIoTデータ、ERPやMESなどの基幹システムデータ、品質データ、環境データなど、多様な形式・周期のデータを収集し、デジタルツインが利用できる形式に変換し、信頼性高く保管する仕組みを構築します。データのクレンジング、変換、パイプライン構築などが含まれます。
- ビジネス価値への貢献: 高品質でリアルタイムなデータ基盤を提供し、デジタルツインによる正確な現状把握や分析を可能にします。
3. IoT/センサー技術
現実世界のデータを取得するためのスキルです。様々なセンサー、デバイス、通信技術に関する知識が必要です。
- 役割と重要性: どのようなセンサーを選定し、どこに設置すれば必要なデータを効率的に取得できるか、通信プロトコル(OPC-UA, MQTTなど)をどのように利用するか、エッジデバイスでの前処理はどのように行うかなどを設計・実装します。
- ビジネス価値への貢献: 現場のリアルタイムな状態をデジタルツインに反映させ、可視化や即時的な監視・制御を可能にします。
4. モデリング・シミュレーション技術
物理的な特性やプロセスの挙動をデジタル空間上で再現し、将来を予測したり、「もしも」のシナリオを検証したりするためのスキルです。
- 役割と重要性: 設備の物理モデル、生産ラインの流れ、化学反応、構造解析など、対象に応じた適切なモデリング手法(物理ベースモデル、データ駆動モデルなど)を選択し、シミュレーションを実行・評価します。シミュレーションソフトウェアの活用能力や、関連する数学・物理学の知識も必要です。
- ビジネス価値への貢献: 新規プロセスの設計検証、ボトルネックの特定と改善策の評価、生産計画の最適化、リスク評価など、試行錯誤が困難な現実世界での意思決定を支援します。
5. AI/機械学習
収集した大量のデータからパターンを発見し、予測、分類、最適化など高度な分析を行うためのスキルです。
- 役割と重要性: 異常検知モデル、需要予測モデル、予知保全モデル、品質予測モデルなどを開発・実装します。データ分析、特徴量エンジニアリング、モデル選択、学習、評価、デプロイメントなどのプロセスが含まれます。
- ビジネス価値への貢献: 予知保全による設備稼働率向上、不良品原因の早期特定と改善、需要予測に基づく最適な生産計画、エネルギー消費の最適化など、データに基づいた高度な意思決定や自動化を可能にします。
6. クラウド/エッジコンピューティング
デジタルツインを動作させるための計算基盤を構築・管理するスキルです。
- 役割と重要性: クラウドサービス(AWS, Azure, GCPなど)を利用したデータストレージ、データ処理、モデル実行環境の構築、管理、運用を行います。また、現場に近い場所でリアルタイム処理を行うためのエッジコンピューティング環境の設計・構築も含まれます。スケーラビリティやコスト効率を考慮したインフラ設計能力が求められます。
- ビジネス価値への貢献: 大量のデータ処理能力、高度な分析基盤、システムのスケーラビリティを提供し、デジタルツインの安定稼働と機能拡張を支えます。エッジ活用により、リアルタイムな応答性が必要なアプリケーションを実現します。
7. 可視化/UI/UXデザイン
デジタルツインで得られた情報をユーザーが直感的に理解し、効果的に活用できるようにするためのスキルです。
- 役割と重要性: 3Dモデル、ダッシュボード、グラフなどを用いて、現場の状態、シミュレーション結果、分析結果などを分かりやすく表示するインターフェースを設計・開発します。ユーザー(現場オペレーター、管理者、エンジニアなど)の視点に立ち、使いやすく、必要な情報にすぐにアクセスできるデザインを追求します。
- ビジネス価値への貢献: デジタルツインの利用効果を最大化し、迅速かつ正確な状況判断や意思決定を支援します。現場作業員の操作支援や遠隔からの状況把握にも不可欠です。
8. システム連携/API開発
デジタルツインを既存の基幹システム(ERP, MES, SCMなど)や他のシステムと連携させるためのスキルです。
- 役割と重要性: 各システム間のデータ交換や機能連携を実現するためのAPI(Application Programming Interface)の設計・開発、あるいは既存APIの利用に関する知識が必要です。異なるシステムのデータ構造や通信方式を理解し、スムーズな連携を構築します。
- ビジネス価値への貢献: 既存システムで管理されている経営情報や計画情報と現場のリアルタイムデータを組み合わせることで、より統合的な視点での分析や意思決定が可能になります。サプライチェーン全体を可視化する際などにも重要です。
9. プロジェクトマネジメント/アジャイル開発
複雑でスコープが変動しやすいデジタルツイン開発プロジェクトを効率的に推進するためのスキルです。
- 役割と重要性: プロジェクト計画の策定、進捗管理、リスク管理、関係者間のコミュニケーション調整を行います。特に、変化への対応が求められるデジタルツイン開発においては、アジャイル開発手法に関する知識や実践経験が有効です。多様な専門性を持つチームメンバーをまとめ上げるリーダーシップも含まれます。
- ビジネス価値への貢献: プロジェクトを納期や予算内に収め、ステークホルダーの期待に応える成果を創出します。変化に柔軟に対応し、継続的な改善を推進します。
10. セキュリティ
デジタルツインシステム全体のセキュリティを確保するためのスキルです。
- 役割と重要性: 収集するデータの保護、通信経路の暗号化、システムへの不正アクセス対策、ID管理、脆弱性対策など、データとシステムを脅威から守るための知識と実装能力が必要です。製造業特有のOT(Operational Technology)環境におけるセキュリティに関する知識も求められます。
- ビジネス価値への貢献: 機密性の高い生産データやノウハウの漏洩を防ぎ、システムの安定稼働を維持することで、ビジネス継続性を確保し、企業の信頼性を守ります。
人材育成・チーム構築の考え方
これら多岐にわたるスキルすべてを一人のエンジニアが網羅することは現実的ではありません。したがって、デジタルツイン開発を推進するためには、これらのスキルを組み合わせた学際的なチームを構築することが鍵となります。
PM層としては、自社にどのようなスキルを持った人材が不足しているのかを把握し、以下の点を検討する必要があります。
- 社内人材の育成: 既存のエンジニアや現場担当者に対して、必要な技術スキルやドメイン知識を習得させるための研修プログラムやOJTを企画・実行します。
- 外部専門家の活用: デジタルツインベンダー、システムインテグレーター、コンサルタントなどが持つ専門知識や開発リソースを効果的に活用します。特定の高度な技術分野(AI/ML、シミュレーションなど)は、外部パートナーとの連携が有効な場合が多いです。
- 新規採用: チームに不足しているコアスキルを持つ専門家を外部から採用します。
- チーム間の連携強化: IT部門、OT部門、製造現場、研究開発部門など、関連する様々な部門間で密なコミュニケーションと連携が取れる組織体制やプロセスを構築します。
特に製造業においては、長年培ってきた現場のドメイン知識と最新のデジタル技術を結びつけることが成功の鍵となります。技術者だけでなく、現場の知見を持つ人材が積極的に開発や要件定義に関わることが重要です。
まとめ
製造業におけるデジタルツイン開発は、単なるソフトウェア開発やシステム導入にとどまらず、製造業ドメイン知識を核に、データエンジニアリング、IoT、モデリング・シミュレーション、AI/機械学習、クラウド/エッジ、可視化、システム連携、プロジェクトマネジメント、セキュリティといった幅広いスキルセットを組み合わせる必要があります。
これらのスキルを網羅的に理解することは、PM層がデジタルツイン導入プロジェクトを計画・推進し、適切な人材を確保・育成し、チームを組織する上で不可欠です。すべての技術詳細を理解する必要はありませんが、それぞれのスキルがデジタルツインのどの側面を支え、どのようにビジネス価値に繋がるのかを把握することが、成功への重要な一歩となります。自社の課題解決に最適なデジタルツインを開発・運用できる強力なチームを構築するために、本記事が皆様の一助となれば幸いです。